【貴浩西山のキャビらない話】は~い、皆さん! 西山でございます! いよいよ8月に突入です。夏本番! 夏といえば高校野球。もうすぐ“夏の甲子園”も始まりますね。ボート界でも7月の「第1回全国ボートレース甲子園」が大盛り上がりでした。
僕にもグラウンドで必死に汗と涙を流しながら、白球を追いかけた青春時代もありました。でも「甲子園」には、あまり思い入れがないんですよね。というのも、僕が野球をやっていたのは中学まで。高校に入学した時は、すでにボートレーサーになることを心に決めていました。
そもそも僕がボートレーサーになることを決めたのは忘れもしない2002年8月4日、15歳の夏の日のことでした。地元のボートレース若松では第7回オーシャンカップが開催されていました。優勝したのは今はボートレースアンバサダーを務めている植木通彦さん。僕も父ちゃんに連れられて若松ボートに行っていました。衝撃を受けたのはこの日の9Rです。6号艇には地元・福岡の藤丸光一さん。前づけで3コースに入るとインの今垣光太郎をまくりで沈めて快勝。このレースを見て「ボートレーサーになる!」って決めましたね。藤丸光一さんに憧れてボートレーサーになったんです。
すぐにどうしたらボートレーサーになれるのかを調べて受験資格が14歳以上だったので中学3年生の時に初めてやまと学校(現ボートレーサー養成所)の試験を受けました。この1回目のチャレンジは失敗してしまったので、とりあえず高校には進学しました。でも、やまとの試験に受かったら、すぐに高校を辞めるつもりでした。
だから高校時代の思い出といえば、やまと学校の試験に受かるための準備、体力づくりと学力テスト対策。中学校の教科書を読み直して勉強していました。まあ、結果的には鉛筆を転がしていたら試験は受かったんですけどね(笑い)。あとはエアロビクスや水泳のインストラクターのアルバイトをしていました。
合格したのは4回目。高校2年生の時。とにかくボートレーサーになることしか考えていなかったので本当にうれしかったですね。100期までには受かりたいと思っていましたし97期で入学できたこともうれしかった。担当教官は最悪でしたけど…(笑い)。
さて8月27日に開幕する大村SG「第65回メモリアル」にはボートレース若松の推薦で出場します。ボートレース場の推薦で出場するメモリアルとファン投票のオールスターは特別です。推薦してくれた若松に恩返しするためにも結果を残したいです。もちろんオープニングセレモニーからきっちり仕事しますよ(笑い)。あとは、かわいい後輩の仲谷颯仁がF2なのでF3にならないように見張っておきます!
東スポ 引用