【貴浩西山のキャビらない話】全国の東スポグループ読者の皆さん! 2017年後期(7月1日から適用)の級別審査も無事に終わりました。ボクは出走回数が足りず、久々にA2級に降格してしまいました。しかし、6月末まではれっきとしたA1レーサー。地元の若松GⅠ・65周年記念(6月1日開幕)には出場できますので、今年最後の勝負だと思って戦います!
若松はボクにとって24場で一番思い入れあるレース場。デビューした地でもあり、初優勝も若松でした。たくさんの思い出が詰まっていますが、中でも忘れられないのが初優勝(08年9月)です。
レース場に向かう前、ボクは福岡支部の仲間に「優勝してきます!」と宣言し、さらに「もしできなければパンチパーマ」と言い切りました。追い詰められたボクは予選を勝ち上がり、あれよあれよという間に優勝戦1号艇に乗り、インからトップSを決めて逃げ切りV! 見事に公約を果たしました。ボクの人生で「有言実行」は後にも先にもコレだけですよ。
しかし、表彰式を終え、有頂天になったボクに天罰が下りました。普通はタクシーを呼んで帰るのですが、優勝したのだから当然、仲間が迎えに来て、朝までお祝い…のパターンですよねぇ。だからタクシーの予約はせず、花束を持ってさっそうと門を出たのですが…。だーれも迎えに来てないどころか、最後まで待っていたらナイター照明が消え、真っ暗闇に一人ポツンとたたずんでいました。初優勝の後にこんな仕打ちは恐らくボクだけでしょう。後で知ったのですが、師匠の川上剛さんはインフルエンザ、同期の池永(太)は里帰り、他の先輩や後輩はみなレースに出場中でした。そんな時、暗闇で声を掛けてくれたのが若松ボートの関係者。ボクを車に乗せてくれ、ささやかな祝勝会を開いてくれたのです。ホント、若松ボートには足を向けて寝られません。
もう一つ、忘れられないのがデビュー節の最終日。選抜戦に出たボクは全コーナーを全速ツケマイで勝負したのですが、2周1マークでエンストして失格…。その時、スタンドから「西山~! いいレースだったぞ~。次も頑張れよ~。また買うぞ!」と歯のないおじちゃんたちから温かい励ましの言葉を頂いたんです。それ以来、ボクは若松では誰にも負けない強い気持ちで走っています。今回の記念では、あのとき温かい言葉をくれたおじちゃんたちに差し歯をプレゼントできるよう舟券に貢献したいです。
6月1日からの6日間、ボクは人生を懸け、汗・水・鼻水を垂らしながら走り、最後にはうれし涙を流せるように頑張りますので、ぜひ若松にご来場お願いします!
東スポ 引用