前編:勢いに乗るニュースター
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近年、実は新人レーサーの出世は以前に比べてずいぶんと遅いものになっている。たとえば、非常にハイレベルな期として知られ、銀河系軍団の異名もとっている85期(99年11月デビュー)ではデビュー戦でいきなり1着を獲った選手が4人いて、デビュー節の間に初勝利をあげた選手は13人を数える。この前後の期はおおむね似たような成績を収めていて、新人がデビューしてすぐさま舟券に絡むのは日常的なことだった。それが、現在のルーキー世代となる114期以降では、すべての期を通じて2人しかデビュー戦で初勝利をあげた選手が出ていない。デビュー節のうちに初勝利をあげた選手も13人と、すべての期をあわせて85期と同数ということになる。デビュー直後の新人のありようは、約20年のうちにガラリと変わったわけだ。
その理由をあげるとそれだけで1編の原稿ができてしまうので話は広げないが、あえて一言だけ言っておくと、それだけボートレース自体が変わりつつあるということ。こういうと語弊があるが、全体のレベルが上がっている部分があるのも確かである。そうしたなかで、実際は過去の新人と現在の新人と比較するのは、ややナンセンスと言うべきかもしれない。
なにしろ、かつてはルーキー世代のうちにSGを制覇する選手はゴマンといた。たとえば服部幸男はデビュー3年7カ月でダービー制覇。現在で言えば、119期生が同様のキャリアにあたり、先月取り上げた井上忠政が今、SGを優勝するようなものである。最も新しいルーキー世代のSG制覇は、2010年の岡崎恭裕(オールスター)。94期生だ。
ルーキー世代のSG優出も近年はほとんど出ていない。12年オールスターで100期生の桐生順平が優出しているが、それからはとんと出る気配はなく、そもそもルーキー世代のSG出場もなかなかかなわない状況が続いていた。
それがこの6月、久々に出たのだ。ルーキー世代のSG優出!それを果たしたのは羽野直也。この世代のフロントローを常に走ってきた男が、ついにひとつ上のステージに駆け上がったのである。羽野についてはすでに2度も取り上げているが、若きサムライのひとつの快挙として、これを捨ておくわけにはいかないだろう。ルーキー世代の他の選手にも刺激を与えるものとしても、これは大きな出来事である。
羽野直也を前回取り上げたのは、17年10月の初G1制覇の後のことだ。デビュー3年6カ月で到達したG1ウィナーの座。近年では特別に早い初G1制覇であり、それは実にセンセーショナルなものと言えた。ちなみに、制したG1は大村の周年記念。1号艇に入った地元のエースである原田幸哉を差し切っての見事な優勝であった。
これを機に、羽野は一気に銘柄級の一人として扱われることとなる。それからはG1斡旋が相次ぎ、17年12月の芦屋周年では早くも2度目のG1優出を果たしている。しかも、1号艇の峰竜太を3号艇3コースからまくり切るというインパクトが大きいレースぶり。残念ながらバックで伸び返した峰に捌かれて準Vに終わっているのだが、羽野直也の名前はこれで完全に全国区になったと言っていい。
同じく17年12月には、グランプリシリーズでSG初出場を果たす。残念ながら予選落ちに終わっているが、4日目にSG初勝利。冷え込む住之江で震える水神祭を行なっている。これ以降の羽野は、SGも常連の一人として出場が相次いでいくことになる。
この年、羽野は最優秀新人にも選ばれた。G1を制覇しているのだから文句なしだ。年が明けると、1月唐津周年、2月九州地区戦と連続でG1優出。この頃、すべての選手を通して、最も勢いに乗る選手の一人であった。筆者は2月に羽野にインタビューを行なっているのだが、羽野はそこで「今年はグランプリに出たい」と衒うことなく言い切った。当時、出場したSGはグランプリシリーズのみだったにもかかわらず、いきなり最高峰のレースを口にしたことには驚かされたものだ。同時に、それを疑うことなく目標として設定する羽野の大物感に痺れた。この若者ならやってのけるのではないか、とも思わされた。羽野は確かに、大きな野望に手を届かせる可能性に満ちた新星だったのだ。
後編:待ち受けていた苦難
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17年10月のG1初制覇以降、一気に銘柄級のレーサーへと駆け上がった羽野直也。グランプリに出たいという目標を掲げた2018年は、3月にSGボートレースクラシックに出場している。このとき、羽野は次のSGであるボートレースオールスターへの出場は決まっていたが、その次のグランドチャンピオンの出場権は得ていなかった。クラシックで優出すれば、グラチャンの優先出場権を得ることができる。グランプリに出るためにはひとつでも多くのSGに出なければならない、と羽野は気合を込めてクラシックに乗り込んでいる。残念ながら準優で敗退し、グラチャン出場は逃すことになったのだが、準優直後に心から悔しがる姿は今でも印象に残っている。ルーキー世代がSGで予選突破を果たすのは、本来ならばかなりの健闘であるにもかかわらず、である。
羽野は続くオールスターでも予選突破。準優で敗れたものの、SGで2戦連続で予選をクリアしたのは評価が高い。その次節では地元福岡の周年記念で優出。さらには7月のオーシャンカップでも予選突破を果たし、勢いはとどまるところを知らなかった。オーシャンカップの前節ではG3ウエスタンヤングを走り、準優1号艇で5着に敗れるのだが、それがむしろ事件として捉えられるほどであった。
好事魔多し、とはよく使われる表現だ。昇龍のごとき活躍を見せていた羽野にとって、そんな出来事をあげるなら、オーシャンカップの次節の尼崎周年でフライングを切ってしまったことだろうか。ここからスタートの思い切りが鈍るようになり、SGやG1では苦戦を強いられることとなった。そんな状況でも、同世代の戦いであるプレミアムG1ヤングダービーで優勝戦に駒を進めたのはさすがと言うしかなかったが、その一戦にしても、羽野にとっては不完全燃焼だったようである。
それからの羽野は、やや迷走を強いられることとなる。目標だったグランプリはもちろん出場かなわず。一般戦でも予選落ちを喫することがあったりするなど、勢いは一気にしぼんでいってしまうのであった。
2019年になって、羽野はさらに結果を出せなくなっていた。SGでは1着をまるで獲れず、G1も予選落ちの連続。前年は優出したヤングダービーも予選落ちであった。
筆者はこの時期、オーシャンカップのピットで言葉を交わしている。声をかけたのはまったく別の話題だったのだが、羽野自身のほうから「今の僕は迷ってるんです」と言い出したのだ。成績を見れば、そうとしか思えないものだっただけに、羽野の告白自体は意外なものではなかった。しかし、話の文脈を無視するかのようにそう言った羽野に、それを吐露したかったのかな、と感じた。さらに、自分に言い聞かせるかのように「今は迷っていたいんです」とも言った羽野に、この状況と向き合って、戦っているのだと思った。この時期を乗り越えれば、必ずあの勢いは戻ってくるだろう、と祈った。
2020年は、前年の不振を反映してSGクラシックの出場を逃している。また、ファン投票で出場が決まるオールスターにも出場できなかった。前年、前々年と2年連続で選ばれていながら、調子を落とした途端に票を集められなくなる。ファンの目の厳しさを痛感したことだろう。
20年の最初のSGは、6月のグラチャンだった。前年に多くのSGに出場した貯金が活きたものだった。ここで羽野は、一味違う走りを見せる。初戦は3号艇で4コース発進。スリットで先行した羽野は、強気に内を絞り込む豪快なカドまくりを放つ。これまでの羽野は差しやまくり差しが主武器だったものが、ここでは力任せのまくりを放って、先頭に立ったのだ。ちなみに、これは18年メモリアル以来、約1年10カ月ぶりのSGでの1着だった。そんなにも長きにわたって、SGでは勝ち星から見放されていたのだ。
これで何かが吹っ切れたのか、その後は6着1回以外は順調にポイントを重ねて予選突破。準優も2着でクリアして、SG初優出! それまでの不振が嘘のような活躍を見せて、「現時点で最も登録番号が若いSGファイナリスト」となったのである。それが近年ではどれだけの快挙かは前編の冒頭をご参照いただきたい。とにかく、ここ何年かはついぞ見ることができなかった、ルーキー世代をSG優出を、この世代を牽引してきた次代の大物がやってのけたのである。
一時は迷路にハマりながらも、SG優出というかたちでそこから脱出する契機をつかみ取った羽野。20年後半はまさしく、大逆襲の季節としたいところだ。グラチャンの次節の初戦でいきなりフライングを切ってしまっているが、あの苦しい時期を経験してきた羽野のことだ、それもしっかりと糧にしていくだろう。ここからがスーパールーキーのドラマの第2章。今度こそ一気に羽ばたく羽野直也を見たい。