水上の格闘技―――ボートレースの世界でいま、女性レーサーたちがめざましい活躍をみせている。
1985年、ボートレース芦屋でデビューした日高逸子は、女性レーサーの躍進をリードしてきたひとり。
彼女が実力でもぎとった通算獲得賞金は、なんと10億円! 35年というキャリアをもってアグレッシブに駆け続ける日高逸子。
女性ボートレーサーの先駆者として水上を駆け抜け、いまでも圧倒的パフォーマンスでファンを魅了し続ける彼女は、ボートレース界でどう闘ってきたか、人生の航路をどう描いてきたか。そしてこの先の水上をどう走り続けていくか……。
女性ボートレーサーのレジェンドであり、2児の母でもある日高逸子の、過去・現在・未来を、3回に分けて連載。
第1回は、日高逸子がボートレーサーの世界に飛び込んだきっかけから、これまで勝ち続けてきた秘訣と夫・邦博といっしょに乗り越えてきたエピソードまで。
大事なのは健康な身体、結果が悪くてもクヨクヨしない
Q1 ボートレーサーになりたいと思ったきっかけを教えてください。
◆日高逸子選手―――私が宮崎から東京に出てきて、ツアーコンダクターの専門学校に通っていたころのことです。
友人と2人で引っ越したんです。短大生専用アパートだったんですが、そのアパートに入れてもらいました。
4畳半、お風呂とかも共同です。当時のことは「神田川」の作詞家・喜多條忠さんも書いてくれました。
その時にたまたまテレビをつけたら、真っ先に「ボート選手になって1000万円!」っていうCMが飛び込んできて、田中弓子選手(当時)が出ていました。
お金が必要だったし、「よし、これだ」と思って試験を受けたら、1回で学科試験に受かっちゃったんです。実技は通りませんでしたが。
二次試験は本栖湖(山梨県)でした。私が行った2月は寒風が吹いて湖面には白波が立って、訓練生たちがひっくり返って転覆していました。
宮崎県にいたころはボートを全然知らなかったし、ボートを見るのは初めてだったので、ビックリしました。
Q2 ボートレーサーという仕事は、自分に合っていると思いますか?
◆日高逸子選手―――本栖湖の研修所に入って、割と早くに思ったのは「私には向いてないかも…」ということでした。
2艇旋回(2艇で交差して走る訓練)を始めたころですね。どうしても上手くできなかった。
でもハングリー精神というか、上手くなりたいという気持ちはすごくありましたから、誰よりも長い時間ボートに乗ってカバーしました。
プロになってからも、そうやって取り返してきました。35年間やってきて、最も大事だと思うのは健康な身体です。
健康だったからこそ、こんなに長くやっていられる。体が柔軟で柔らかいことも、ケガをしないことにつながります。
あとはメンタル面ですね。結果が悪くても、いつまでもクヨクヨしない。工夫して、そうするようにしています。
冷凍の母乳を宅配便で送り、僕が解凍して子どもに……
Q3 女性ボートレーサーをサポートするうえで何が一番大切ですか? 夫・邦博さん。◆夫・邦博―――自分のことは自分でできる人なので、特にはないですが、レーサーとしての師匠・大屋勝利さんの奥様から教えていただいた「レースに行く朝だけはケンカしないように」ということはずっと守っています。
2人の子どもたちが赤ちゃんだったころは「どうしても母乳で育てるんだ」と、新幹線の発車ベルが鳴っているのに母乳を与えていたり。
東京でレースがあるときは冷凍の母乳を宅配便で送ってきて、僕が解凍して温めて子どもに飲ませたりもしました。
母乳が適温かどうか確かめるために僕が口に含むと、日によって味が違っていました。母親の体調によって変わるんでしょうね。
◆日高逸子選手―――私たち、ほとんどケンカはしないんですよ。
私は自由人なので、レースが終わっても余所へ行っちゃって3日も帰ってこないこともあったんですが、それでもケンカはしない。
大切なのは忍耐力ですよね、お互いに(笑)。
水上の格闘技―――ボートレースの世界でいま、女性レーサーたちがめざましい活躍をみせている。
1985年、ボートレース芦屋でデビューした日高逸子は、女性レーサーの躍進をリードしてきたひとり。
彼女が実力でもぎとった通算獲得賞金は、なんと10億円! 35年というキャリアをもってアグレッシブに駆け続ける日高逸子。
女性ボートレーサーの先駆者として水上を駆け抜け、いまでも圧倒的パフォーマンスでファンを魅了し続ける彼女は、ボートレース界でどう闘ってきたか、人生の航路をどう描いてきたか。そしてこの先の水上をどう走り続けていくか……。
女性ボートレーサーのレジェンドであり、2児の母でもある日高逸子の、過去・現在・未来を、3回に分けて連載。
第2回は、勝負の世界を支える夫・邦博さんの食事サポート、日高選手の水上と家庭のオンオフ、子どもたちへの気持ち、そして、今後の目標について―――。
家に帰るとスイッチオフ、八つ当たりしない
Q4 夫・邦博さんの得意な料理は何ですか? また栄養管理の秘訣はありますか?
◆夫・邦博―――肉は脂身の少ないものを用意しています。鉄分が必要なので鶏のレバーとか。あと、若い時は食べなかったのですが、最近は煮物が多いですね。
揚げ物は外側が焦げちゃったのに、なかは生のままとか一発勝負ですが、煮物は調節できるし、根菜は体に良いので…。
◆日高逸子選手―――イカと大根の煮物をよくつくってくれますが、私はあんまり好きじゃない。
それより豆腐に牛肉を巻いて、玉ネギとゴボウを敷いて、火を消してから卵を入れた柳川風なのが好き!
Q5 ボートレース場に日高選手のレースは見に行くんですか?
◆夫・邦博―――レース場から招待された日以外、家族は見に行けないので、テレビで見るぐらいですね。
Q6 レースで奥様の成績が振るわなかったとき、どんな言葉をかけてますか?
◆夫・邦博―――こちらからはほとんど言いません。たまに「(フライングしそうで)スタートが危なかったね。タッチだったね」とか言うぐらい。
優勝しても、しなくても、いつも酔っぱらって帰ってくるのは同じですから(笑)。
◆日高逸子選手―――家に帰るとスイッチがオフになっているから、「次、またがんばればいいや」って感じですね。八つ当たりなんかしないですよ(笑)。
女子レーサーとして一番長く、そして抜かれず
Q7 家庭内での重要な決定事項はどちらが決めてらっしゃいますか?◆夫・邦博―――完全なヒエラルキー(ピラミッド型階層)ができ上がっていますからね。かんたんには稟議が下りないんですよ(笑)。
◆日高逸子選手―――私のところはカカア天下ですからね。でも邦博さん、最近は事後報告が増えましたよね。「何々を買いました」とか、「家を出ている子どもたちに仕送りしました」とか(笑)。
進学先を決める時でも何でも、子どもたちのことは邦博さんの役。私は月のうち20日間も家にいないから。お金のことは私ですが、最近は2人で相談してやっています。
ただ、私も邦博さんも「子どもたちには苦労させたくない」と思って甘くなってしまうようです(苦笑)。私が子どもたちのお弁当を作っていた時期もあるんですが…。
◆夫・邦博―――お弁当の味は、父の味! なにしろ16年間も作ってきましたからね。今では娘が「(父の)あの煮物のレシピ教えて」と言ってきます。
Q8 第一線で長く活躍を続けるられるモチベーションは何ですか?
◆日高逸子選手―――今の目標は、女子レーサーで一番長く選手をやることです。5年ほど前に、膝が痛くて「もう引退したい」と思ったんですが、治った後にモチベーションがガーンと上がって。
その後、私の生涯獲得賞金が10億円を突破した時に、女子史上最高額だと聞いて、「せっかく1位になれたのなら、抜かれないようにしよう」と。
すぐ後に山川美由紀さんが続いているので。その割に残っていないなぁ…。邦博さん、貴方使ってない?
◆夫・邦博―――実は…モニョモニョ(笑)。
◆日高逸子選手―――ええっ、ここで言うの!?
水上の格闘技―――ボートレースの世界でいま、女性レーサーたちがめざましい活躍をみせている。
1985年、ボートレース芦屋でデビューした日高逸子は、女性レーサーの躍進をリードしてきたひとり。
彼女が実力でもぎとった通算獲得賞金は、なんと10億円! 35年というキャリアをもってアグレッシブに駆け続ける日高逸子。
女性ボートレーサーの先駆者として水上を駆け抜け、いまでも圧倒的パフォーマンスでファンを魅了し続ける彼女は、ボートレース界でどう闘ってきたか、人生の航路をどう描いてきたか。そしてこの先の水上をどう走り続けていくか……。
女性ボートレーサーのレジェンドであり、2児の母でもある日高逸子の、過去・現在・未来を、3回に分けて連載。
第3回の最終回は、ケガからの意地でも再起動する彼女の気力、最後まで勝負をあきらめない心、生涯現役を貫く心身維持のスキル、若手選手との攻め方の違い、子どもたちに想うこと……などを語ってもらう。
2015年に落水し大けが、再起と進化
Q9 ボートレーサーでいる限り、事故やケガは避けられないと思いますが…
◆日高逸子選手―――私が大きなケガをしたのは、4年前。2015年4月のボートレース戸田の優勝戦で落水して、浮いたり沈んだりしながら3回ぐらい後続艇にひかれたときだけです。
骨折はなかったけど、肺に水が入って、レントゲンが真っ白!
◆夫・邦博―――福岡の家で食事を作りながらテレビを見ていたら、事故の瞬間が映って。
「これは…」と心配していたら、関係者の方から電話が入って、急いで埼玉の病院へ向かいました。病室に着いたら酸素吸入をしていて…。
そんな状態なのに、彼女は「退院して帰る」って言うんですよ。「帰れるわけがない!バカじゃない?」と言っても聞かない。
仕方なく医者に聞いてみたら「退院するとか帰るとか、できるわけないじゃないですか!」と怒られました。
◆日高逸子選手―――何日か後にある、ボートレース若松オールレディースのドリーム戦に選ばれていて「どうしても走らなきゃいけない」と思って。
福岡に帰ったらすぐ病院へ行くということを条件に、2日後に退院を認めていただきました。
退院のときに、先生が「日高選手、サインください」って。ファンでいてくださったみたい(笑)。
レース中は夕食抜き、大好きなお酒も控えて
Q10 体力維持のために自己投資していることはありますか?◆日高逸子選手―――家から車で20分くらいのところにあるヨガスタジオに通っています。ホットヨガ(高温多湿な環境で行うヨガ)です。
私は太りやすい体質で、そこに35年間、苦労しています。レース参加中は夕飯を食べません。
でも朝はガッツリ食べますよ。お昼はパンと牛乳くらい。選手宿舎でもヨガをします。部屋にマットを敷いて1時間程度。家では70分ぐらいやります。
なのに、家で酔っぱらっちゃうと、この人のカツサンドを半分ぐらい食べちゃったりして…。
朝になって「何で止めてくれなかったの!?」と文句言ったり(苦笑)。
お酒は、焼酎でもワインでもビールでも。ファンの方からいただくことも多いですね。
日本酒は美味しいんですが、太りそうなので飲まないようにしています。
若手レーサーとの違い、大山千広は平成ターン、怖いという気持ちをなくせ
Q11 若い世代のレーサーたちに特に感じるジェネレーションギャップはありますか?◆日高逸子選手―――ターンが全然違いますね。私たちは昭和のターン、大山千広ちゃんとかは平成のターンです。
私たちはターンマーク(水上標識のブイ)の近くを小さく回っているけれど、平成のターンはターンマークから離れたところを回る。
スピードが全然違うわね。ただ、波が出たり、風が吹いたりする水面なら負けないつもりです。
私たちは寒風吹きすさぶ富士山麓・本栖湖の荒水面育ち、向こうは温暖なやまと育ちですから。
千広ちゃんのところとは家族ぐるみの付き合いをしているので、小さいころから知っています。
私の長女と次女の間が千広ちゃんという年齢関係で、千広ちゃんの服のお下がりを私の次女がもらったりしていました。
荒水面で勝つ秘訣ですか? 怖いという気持ちをなくすことです。
「何でもできる母を尊敬しています」
Q12 子どもたちにボートレーサーになることを勧めたことがありますか?◆日高逸子選手―――ボートレース芦屋のペアボート試乗会で、娘たちを乗せたことがあるんです。一般のファンの方たちが乗った後に乗せたんですが、特に何も…。
「軟弱な面があるから、やまとに行って鍛えてもらったら」とか言うんですけど(笑)。
◆夫・邦博―――その時のペアボート、僕は同じ福岡支部の大神康司選手に乗せてもらったんですよ。
そうしたら「奥さんにレースでいつもイジメられてますから」と冗談半分でしょうが、すごい走りっぷりで(苦笑)。
◆日高逸子選手―――でも、娘たちがテレビ取材に「何でもできる母を尊敬しています」と答えてくれているのを見たときは、ビックリしました。
いつも私に文句ばかり言ってくるのにね(笑)。
―――平成女性ボートレーサーに対して真っ向から勝負に挑む、日高逸子。通算賞金10億円超えの女帝58歳は、さらに進化した走りを水上でみせてくれるはず。