ボートレース界を代表するレーサー・守屋美穂は、「養成所時代は落ちこぼれだった」と振り返る。しかし、「頑張れば結果が付いてくる」「頑張らなければ評価されない」「この世界は頑張るしかない」と自分を奮い立たせ、努力に努力を重ねていまの地位を築き上げた苦労人だ。
デビューから14年、紛うかたなき看板レーサーとしての役割を果たし続ける守屋は、この厳しい世界をどう戦ってきたのか? トップ女子レーサーの活躍の秘密に迫る
ウェイトリフティングで全国大会優勝も
約1時間のインタビューの中で、守屋は「頑張る」という言葉を何度も繰り返した。彼女が口にする「頑張る」という表現は、一般に使われるそれとは明らかに重みが違う。そもそも、なぜボートレーサーを目指したのか?
「小学生の頃は、盲導犬の訓練士さんに憧れていたんです。でも私にとっては現実的ではなかったのかな……。職業としてボートレーサーになろうと考えたのは中学生の頃。父の勧めでした。
子どもの頃にレース場に連れて行ってもらったことがあって、その時の印象は、(舟券の)発売時間はすごく長いのに、レースはあっという間に終わっちゃう、というもの。でも同時に、ボートレーサーってカッコいいなって、どこかで思ったんですね」
高校に入る頃には、職業としてのボートレーサーを意識していた。部活動で始めたウェイトリフティングでは、全国大会の優勝経験を持つ。
「重量挙げを始めたのもボートレーサーになるためです。中学まで本格的なスポーツの経験もないし、走るのも苦手。それに屋外の競技だと日に焼けちゃう(笑)。重量挙げならちょうどいい筋トレになるだろう……と。
いま思うとウェイトリフティングを選んでよかったと思います。瞬発力がついて、下半身が強化できて、全身の使い方が上手くなる。それに精神的にも鍛えられました」
高校を卒業した守屋は、ボートレーサーへの一歩を踏み出すべく、養成所の門を叩いた。
「養成所では、あまりいい思い出はないですね(笑)」
入所資格は15歳から30歳までの男女。学歴や職歴は不問で、全寮制だ。入学試験は年2回。その競争率は平均20倍と狭き門だが、入学後は学費も寮費も食費もかからない。ただし、1年間にわたる訓練と生活は厳しく、そこに男女の別はない。朝6時の起床から夜10時の消灯まで、分刻みの日課を確実にこなし、ボートレーサーに必要な最低限の知識と技術を叩き込まれる。「養成所では、あまりいい思い出はないですね(笑)。2カ月ごとの試験が終わると“外出日”があるんですが、私は試験の成績が悪くて、外出を取り消されたりしてました。関連法規や競技ルールなどの教科が苦手で……。
でも、養成所での生活を『つらい』と思うことはなかった。たしかにラクではないけれど、私にとっては高校時代のほうが大変だったから」
養成所で教わることすべて、特にモーターの分解や組み立てなどはチンプンカンプンだった。でもそれは守屋だけでなく、皆が同じ。言い換えれば、努力次第でどうにかなることであり、努力以外に克服法はない、ということを彼女は知っていた。
「だから頑張りましたよ」
座学では苦戦した守屋だが、実際にボートに乗っての練習は得意だった。養成所内でのリーグ戦で優勝するなどめきめきと頭角を現し、本人もそれなりの自信を持ってデビューを果たす。
「強い選手はたとえ失敗しても同じ失敗は繰り返さない」
しかし、初出場の節(2007年11月、尼崎)では、乗ったすべてのレースで最下位に沈んだ。「本当のことを言うと、もう少し上に行けるかな、と思っていたんですけど、技術の差が大き過ぎましたね。試運転で、私は本気でターンをしたつもりなのに、先輩から『ターンするのやめて帰って来るのかと思ったよ』って言われたときは、さすがに凹みました(笑)」
それでもそこからの挽回は早かった。デビューから1カ月というスピードで、1着を勝ち取ったのだ。
「いま振り返ると、うれしかった記憶より悔しいレースの記憶のほうが圧倒的に多いんです。勝てたはずのレースを落としたときは、悔しさと興奮で反省もできなくなるほど落ち込むんです。私はどちらかというと引きずるタイプなので……(苦笑)
半面、悔しい思いを忘れないことも大事だなって思うようにもなりました。悔しさが大きいほど同じ失敗を繰り返さなくなるから。もっと言うと、強い選手はたとえ失敗しても同じ失敗は繰り返さない。私もそうなりたいと思っています」
先輩レーサーとして「頑張っている子を応援したいんです」
レーサーとしてのイロハを先輩から教わってきた守屋も、いまは「教える側」の立場だ。後輩に教えを乞われて教えない先輩はいない。訊かれれば“奥義”でさえも惜しみなく伝授する、開かれた関係性が構築されている。水面に出れば賞金を争うライバルでも、それを超えた深いつながりで結ばれている――。そんなボートレースの世界が、守屋は好きだという。
「何でも訊けるのは新人の特権だし、私も新人の頃は本当に周囲の人たちに何から何まで教えてもらいました。だから後輩には何でも教えてあげたいと思っています。ただ、私は教えるのが下手なんです(笑)。一生懸命伝えようと頑張るんだけど、あとで、あれでよかったのかな? って反省してばかりで……。教えたことが結果につながらないと本当に申し訳なくなります」
一方で、自分から積極的に教えることはしない。そこには厳しい世界で戦い、這い上がって来た彼女ならではの優しさがある。
「人に教えることって、とても責任の重い行為だと思うんです。私が教えたことで成績が伸びなければその子の収入に直結するし、私が教えたことをしようとしてケガをするかもしれない。だから私は、『教えてあげる』と自分から近づくことはありません。でも、訊いてくれたら何でも教えたい。頑張っている子を応援したいんです」
本当に危なかったレースは「転覆した直後、ボートが……」
全長289.5cm、全幅133.6cm、重量75kg、排気量396.9cc――。
スタンドから眺めると木の葉のように小さく見えるボートを操る守屋の体重は45kgに過ぎない。体重の軽さはスピードの面ではメリットになるが、ひとたびアクシデントに巻き込まれると、ダメージも大きい。
「恐怖心はあります。水の上に出てしまえば、ずっと緊張状態ですね。ボートで走ることを『楽しい』と感じることもない。『緊張が解ける時』ですか? ピットで作業をしていてふと空を見上げて、いい天気だな……って思う時くらいかな(笑)。
何年か前に2コースからスタートして、最初のターンで差しに入ったところでターンマークにぶつかって転覆したんです。すべての選手がそこを目がけて突っ込んでくる一番危険な場所で、特に1周目は艇間もなく集団で通過するので避けようがない。その時も私がひっくり返った直後を2艇のボートが通り過ぎていきました。私はただ『体に当たらないで!』と祈るしかなかった……。それが一番危なかったシーンでしょうか。
私は転覆の回数が少ない方なので、たまに落水すると恐怖心が残ってしまうんです。その後しばらくは、似たような展開になると思い切って行けなくなりました。ただ、事故は確かに恐いけれど、技術を身に付けていれば大きな事故にはならない、とも思っています。だから必要以上に恐がることはない。恐いと思う以上の技術を身に付けよう、と考えるようにしています」
ボートレーサーである以上、「緊張」「恐怖」とは常に対峙し続けることになる。しかし守屋にとっての「つらさ」は、意外なところにある。
「暑さと寒さかな。真夏は水の上とはいえ日を遮るものは何もないし、スノーボーダーと同じような格好なのですごく暑いんです。じゃあ冬はラクなのかというと、そんなことはない。私は冬のほうが苦手ですね。手がかじかんで微妙な操縦に影響することがある。それでレースに負けると、本当に悔しいですよ」
絶好調のタイミングで「産休」へ
ボートレーサーの現役年齢に制限はない。平均引退年齢は50歳、現役最高齢選手は73歳と、他の競技に比べて選手生命が長いのもこの競技の特徴だ。選手生命が長い分、現役期間中には多くのライフイベントが訪れる。「結婚」のほかに、女子レーサーは「出産」を経験することもある。24歳で結婚し、26歳で長男を出産。その後もトップレーサーとして活躍を続けてきた守屋は、シングルマザーになった。レーサーとして、母親としての目標は何なのか。
「ボートレーサーとして最も伸び盛りのタイミングで産休に入ることには、正直言って悩みました。一時的とはいえレースを離脱するのはとても不安でした。出産経験のある女性の先輩レーサーからは『自転車に乗る感覚と同じだから心配いらないよ』と励まされたけれど、自分の中では『そう簡単にはいかないだろうな……』という思いがありました」
2015年から1年の産休に入った守屋。しかしその不安は的中し、復帰後しばらくは「どん底」を経験する。
「体力が極端に落ちてしまい、腹筋が1回もできなくなっていたんです。ボートの操縦技術も、モーターやプロペラの調整感覚も、全部がゼロからのやり直しでした。ただ、そんな時も周囲の人たちの支えがあって、少しずつ感覚を取り戻すことができました。本当に感謝しています」
息子はいま5歳。可愛い盛りだが、ボートレーサーは遠征も多い。母として一緒に過ごせる時間は多くない。
「遠征中は両親に預かってもらっています。寂しい思いをさせている分、せめて息子に誇れる仕事を見せたいと思っています。『子どもを育てるため』という思いは、間違いなく大きな原動力になっています。そのためにはケガだけは避けたい。“ケガをせずに稼ぐこと!”これがいまの私の目標です(笑)」
「女子レーサーが増えていることが本当にうれしいんです」
どんな質問にも丁寧に言葉を選んで、客観的な視点から回答する。単に「強い」「美しい」というだけではない、クレバーな女性であることを強く印象付ける。そんな守屋はいま、自分の後に続く女子レーサーの出現を待っている。
「頑張れば必ずいい結果が付いてくるわけではないけれど、ボートレースはいい結果が出たときの喜びがとても大きい競技であることは確かです。頑張っているときは多くの人たちが応援してくれて、結果を出すとその人たちに恩返しができる。その喜びは何物にも代えがたいし、やりがいにもなる」
現に女子レーサーが注目されることで女子のビッグレースも増えてきた。活躍できる場は確実に広がっている。守屋は「だからこそ、やる気がある人にはぜひチャレンジしてほしい」と続ける。
「女子レーサーが増えていることが本当にうれしいんです。もちろん厳しい世界だし、不安はあると思うけれど、頑張る気持ちがあるなら、私は『大丈夫だよ』って言ってあげたい。
『私みたいな落ちこぼれでもやっていけているんだから、きっと大丈夫だよ』って(笑)」