東京六本木のSIX WAKE六本木HALLで開かれた「令和2年優秀選手表彰式典」(2月4日)は峰竜太(35歳)の独壇場でもあった。
6年連続の「最高勝率」をはじめ「最多勝利」「最多賞金獲得」「記者大賞」、そして「最優秀選手」の5部門を独占した。
この5つ以外は「最優秀新人選手」「優秀女子選手」「特別賞」であるから、取れる賞を総なめにしたといっていい。まさにボートレース界の第一人者である。
その背景にどんな青春時代があるのだろうか。中学時代はバスケットボールをしていた峰竜太だが、高校ではチーム競技から離れヨット部に入る。
「1位がいてビリがいるレースの面白さ、個人競技の醍醐味に惹かれた」という。
加えて、「ヨットには経験者がほとんどいません。ゼロから一斉スタートできる点もいいと思いました」という。
打ち込んだのはFJ(フライングジュニア)という種目である。「まず基本を学び、すこしでも早くレースができるようになりたいと必死に練習しました。ボートレースと一緒で、ヨットにも良し悪しがあるんです。いいレース艇は成績上位者に割り当てられると知り、誰よりも練習を重ねました」と振り返る。
進学したのがヨット競技の強豪校であったこと、熱くなる性格だったことから栄光の物語が始まったのだ。「がむしゃらに一生懸命練習しているうちに、気持ちがどんどん変わっていったのを覚えています。急に目覚めたというか…。それは、勝つことへの欲求ではなくて努力することへの欲求でした」。
峰竜太は、高校時代に成長のメソッドを会得したのだ。
アスリートのランクを分けるものとして
「センスの差」
「向上心の差」
そして
「努力の差」を挙げる背景が高校時代にある。目覚めた峰は、FJ競技で佐賀県大会と九州大会を制することになる。
勝つことだけに的を絞っていたらこういう結果にたどり着けただろうか…。そして、努力というプロセスから優勝という結果を手にした峰の脳裏にある仮説が浮かび上がってきた。
「ヨットでできたんだから、勉強でもできるんじゃないか」という仮説である。
「努力の欲求」は勉強面でも発揮されることになる。
東京六本木のSIX WAKE六本木HALLで開かれた「令和2年優秀選手表彰式典」(2月4日)で峰竜太(35歳)は、6年連続の「最高勝率」をはじめ「最多勝利」「最多賞金獲得」「記者大賞」、そして「最優秀選手」の5部門を独り占めにした。
野球でいえば3冠王プラス盗塁王にベストナインというところであろう。中学時代はバスケットボール部、高校ではヨット部に所属した峰竜太だが、「経験者があまりいないためゼロからのスタートができるヨット競技」で活躍する。
FJ(フライングジュニア)という種目で、佐賀県大会と九州大会を制したのだ。「がむしゃらに一生懸命練習しているうちに、気持ちがどんどん変わっていったのを覚えています。急に目覚めたというか…。それは、勝つことへの欲求ではなくて努力することへの欲求でした」と振り返っているが、「ヨットでできたんだから、勉強でもできるんじゃないか」と感じるようになっていった。
そんな峰に火をつけてくれたのは苦手な科目の教師だったという。それも「赤点」さえあり、歯が立たなかった数学の先生であった。その教師は峰に対し「峰、おまえはやればできる。次のテストは全力で勉強してみろ!」と言ったという。
ダメダメな自分に真正面から「できるはず!」と言ってくれたハートが「妙に心に刺さり、そこまで言ってくれるんだから、先生のためにやってみよう」と決心する。自分のためではない。応援してくれる人のために…と思ったのである。
部活の傍ら苦手な数学に必死に向き合った結果は…
なんといきなりの100点であった。
落第してもおかしくない科目を完全に克服したのである。
「努力する醍醐味」と「他人のためにがんばれる喜び」を糧として一気に成長したのだ。そして、苦手の数学で4回連続100点を取ってしまうのである。決してフロックでないことがわかる。
これが功を奏し、他の教科でも満点を取るようになっていったという。峰竜太は高校時代をこう述懐する。
「文武両道、両方で得た成功体験が自分にとって、とても大きな財産になったと思います!」。
令和2年、6年連続の「最高勝率」をはじめ「最多勝利」「最多賞金獲得」「記者大賞」、そして「最優秀選手」の5部門を独り占めにした峰竜太の青春話第3回である。
高校時代、ヨットのFJ(フライングジュニア)で佐賀県大会と九州大会を制すと、「赤点」さえあり苦手だった数学を克服。4回連続100点を取るなど「文武両道にわたる貴重な成功体験」を積んだ峰竜太。「努力する醍醐味」と「他人のためにがんばれる喜び」を知った若者が次に目指したのがボートレーサーである。
大学進学を薦める声もあったが、高校1年生の時に憧れをもったプロレーサー選択の決心は固かった。
「減量のため食事も摂らず毎日毎日ずっと走っていました。ずっとです。走って走って走っていました。だから合格できなかった時は本当につらかったです」と話す。
というのも「受かるまでやればいいという考えはなく、絶対に一発で合格してみせると思っていた」からだ。勝負は1回と決めていたのである。結果は不合格…。
「ああ、もうボートレーサーになれないんだと思ったら泣けて泣けてしかたありませんでした」と話す。ほぼ手中にしかけたSGVを逃し、レース直後のピットで号泣する姿から「泣き虫王子」と称されたが、もうこの時からすっかり「泣き虫」だったのである。
しかしそれにしても峰竜太は人に勇気を与えてくれる。
真剣なんだから「泣き虫」でもいいではないか!と教えてくれる。敗れて人目をはばからず泣く高校球児の背景には、青春をかけた情熱と努力が存在している。
昔の歌を借用すれば、「涙は心の汗」なのである。「ボートレーサーを目指すのはおしまい!」そう決めた峰竜太を動かした人物がいる。
弟である。「自分の気持ちに素直になったほうがいいぞ!」と真顔で言ってきたのだ。
それは「これまでみたことがないほど決然としていた」。高校数学教師の「峰、おまえはやればできる。次のテストは全力で勉強してみろ!」といい、弟からの直言といい、本気で向き合う人のことばを信じられるのが峰竜太である。
そして…、2回目の受験で合格する。
令和2年は峰竜太にとってデビュー16年目にあたる。「最高勝率」「最多勝利」「最多賞金獲得」「記者大賞」、そして「最優秀選手」の5部門を独占した峰竜太青春話第4回である。
部活動を通じ「努力する醍醐味」と「他人のためにがんばれる喜び」を知った若者には、ものごとを斜めに見るようなところがない。真正面から人に向き合うのである。
一発合格できず、いったんはあきらめたものの、弟のあとに引かない「決然とした直言」で目を覚ました峰は、2回目の受験で合格する。95期生である。
ボートレーサー養成所では2位の勝率7.16をマークするなど片鱗をのぞかせているが、何より底抜けの明るさが光った。同期で仲のいい河村了が「峰竜太には華がある」というように、屈託のない性格は天然自然なもの。その点で抜きん出ていたのである。よく笑いよく泣く快活な人物は、デビューするとその攻撃性で周囲に強烈な印象を与えている。
「おはようございます!」攻撃である。
先輩レーサーはもちろん、競技関係者、レース場の職員、報道関係者など一人ひとり、すべての者に顔をのぞき込むようにして大声であいさつして回っていたのである。ゆうに100m先でも聞こえる声と満面の笑みは相手を選ばなかった。
デビュー約半年で優出(下関・4着)すると、いきなり4.30の勝率をマーク。1年で初優勝(からつ)し、3年目にはA1に昇格するなど成績もともなっていたため、あっという間に
「峰竜太」はブランド化したのである。
しかし、「成績は天性では取得できない。努力しかない」と峰はいう。「できるまでやることです。できなければ人の10倍、いや100倍。センスのいい人に追いつくためには、センスのいい人の何十倍も何百倍もやればいい。ボートに乗って乗って乗り尽くすこともそうですし、プロペラについていえば、考えてやってみて直して考えてやってみて…、できるまでやるしかないんです」と成功の「秘訣」を語る。
「秘訣」といっても近道でないところがいい。むしろ最も遠回りの道を指し示しているのだ。
誰にも負けない練習を重ねた者同士が戦っているのが真の競技の世界だとしたら、うかつに結果論でアスリートを批評することはできない。
「努力は井戸掘りに似ている」というスポーツ指導者がいるが、まさにそれ。
水が出るまで掘る決意の峰竜太が伝えようとしている価値観がそこにある。
令和2年、「最高勝率」「最多勝利」「最多賞金獲得」「記者大賞」、そして「最優秀選手」の5部門を独占した峰竜太青春話最終回である。
「できるまでやることです。できなければ人の10倍、いや100倍。センスのいい人に追いつくためには、センスのいい人の何十倍も何百倍もやればいい。ボートに乗って乗って乗り尽くすこともそうですし、プロペラについていえば、考えてやってみて直して考えてやってみて…、できるまでやるしかないんです」と成功の秘訣を説いた峰竜太。それは、最も困難で最も遠回りな道といっていい。
峰のすごさはそこに悲壮感がないことである。
朗らかであっけらかんとしている。
人との間に壁がなく「全面開放」である。最も困難で、最も遠回りな道から導かれた成果を、いとも簡単に人に教えてしまうところがある。
優秀選手表彰式典のインタビューでもそれを認め、「みんなが強くなってくれるのがいいです」と話した。そして、それによって周りが強くなると困らないか聞くと、「かかってこいって感じです」と笑顔を弾けさせた。ほんとうに屈託がなく計算もない。
「強くなるということだけを考えていますが、何が強さなのかまだ分かっていません」とも言ったが、これはとりもなおさず、「勝つこと」=「強さ」ではないと言っているに等しい。
むしろ、重ねてきた努力の成果を「全面開放」できる人間の大きさ、喜びや感動を共有できる世界観を求めている気がしてならない。
それを天然自然にできるのが峰竜太である。