ボートレース界を59歳でけん引してきた日高逸子さん=福岡市=が、崖っぷちに立たされている。現役最年長、生涯獲得賞金は女子最高となる10億円超の「グレートマザー」だが、昨年、最低階級に転落した。周囲で引退がささやかれる中、「はい上がるのも私の人生らしい」と現役続行を宣言。2月の復帰戦に向け闘志を燃やしている。
日高さんは1985年にデビューし、通算2千勝、優勝75回を達成するなど、数々の金字塔を打ち立ててきた。主夫兼マネジャーの夫(59)と娘2人を育てる母でもある。
最高ランクのA1級から、最低のB2級への降格が決まったのは、福岡で開催された昨年9月5日の最終戦だった。無事故で完走すればA1は維持できた。「でも守りの戦いはしたくなかった。ファンの期待に応えるのに必死だった」。わずか100分の1秒早くスタートを切ってしまった。
日高さんにとって、前期(5~10月)3回目のフライングだった。フライングは出場停止処分を受ける。1回目は30日間、2回目は60日間、3回目は90日間、さらにマイナスポイントが加算される。
3回目は「選手生命の危機」を意味する。出場停止期間中は無収入で、ポイント次第で降格もあるからだ。日高さんはB2への降格となった。レース出場機会が最も少なく、A1復帰は不可能に近いとされるB2。引退する選手もいるが、日高さんは違った。
「私は『逆転人生』を歩んできた。ここでは辞められない」
宮崎県都城市出身。幼少期から、父の暴力や母との突然の別れなど、さまざまな逆境を乗り越えてきた。
「それに比べたら大したことはない。私の力が落ちたわけではなく、ミスで崖っぷちに立たされただけ。ここからはい上がって、どこまでやれるか自分自身も楽しみにしている」
ボートレース界のレジェンドは、2月の復帰戦で奇跡のA1返り咲きに挑む。
◆ボートレースの級別 前期(5月1日―10月31日)と後期(11月1日―4月30日)に分け、各レーサーは期間中の通算成績(勝率、2連対率、3連対率、事故率、出走回数)に応じて上からA1級、A2級、B1級、B2級の4ランクに分けられる。人数比率はA1級20%、A2級20%、B1級50%でそれ以外はB2級。ランクが上位であるほど出走日数や高いグレードのレースへの出場機会が増える。
◆フライングの罰則 選手は出場停止処分と事故点の罰則を科せられる。半年ごとの級別算定期間中、1回目が30日、2回目は60日、3回目は90日の出場停止。同期間中に3回犯すと計180日の停止となる。また、1回につき20点の事故点があり、同期間中の事故点の合計を出走回数で割る事故率が0・70を超えるとB2級となる。日高は事故率0・72でB2降格が決まった。
人はどん底に突き落とされてこそ、自分の力を発揮できる絶好のチャンスをつかめるのだと思う。
59歳でモーターボート界を引っ張ってきた日高逸子は、レース人生最大のピンチに立たされている。2020年前期(5~10月)に通算3度目のフライングを切り、150日間の出場停止処分と、最高ランクのA1級から最低のB2級へ降格が決定した。
福岡市を拠点に主夫兼マネジャーの夫(59)と娘2人を育て、獲得賞金が女子最高の累計10億円を超える「グレートマザー」。想定外の陥落に引退説もささやかれていたが、決断したのは、どん底からの再出発だった。
振り返れば、無理をする必要はなかった。福岡ボートレース場(福岡市)で開催された昨年9月5日の最終戦。1号艇で出場し、無事故で完走すれば、A1は維持できるはずだった。
でも「守りのレース」だけはしたくなかった。「舟券を買ってくれたファンの期待に応えるのに必死だった」。勝負に徹した結果、わずか100分の1秒早くスタートを切ってしまった。
レーサーにとって3本のフライングは致命傷といえる。出場停止期間は無収入の上に、降格によって出場レースが3分の1減り、月1回となる。再びA級に復帰するのは至難の業である。選手の間では「地獄の生活の始まり」とも呼ばれている。
引退も頭をよぎった。でも、フライングで辞めるのはしゃくだし、大けがをして引退する選手に比べたら、大したことはない。
「どん底からはい上がるのも、逆転人生を歩んできた私らしさだと思う」
逆転人生-。その出発点は、幼少期にさかのぼる。
中学教師の父と保育士の母の長女として、宮崎県都城市で生まれた。4歳の時だった。バイク事故に遭った父が後遺症で酒浸りとなり、暴力を振るい始めた。小学校に入って間もなく、暴力に耐えかねた母が突如、姿を消した。二つ上の兄と、祖父母宅に預けられた。
祖母は厳しかった。料理、洗濯、掃除、稲刈りと、幼い孫を徹底的に働かせた。家計は苦しく、兄と一緒に朝から新聞配達をして、夜は集金のため街を走り回った。
父の暴力におびえた日々。母を失った悲しみと貧乏生活。「そこから脱出したいという思いが、私の負けず嫌いの原点。自分の手で何かをつかみたかった。そのためには、誰にも負けたくなかった」
奨学金で高校を卒業し、信用金庫などに就職した。しかし退屈に感じて長くは続かなかった。そんな時、ふと目にしたテレビCMが人生を大きく変えた。
「ボートに乗って年収1千万円」
ボートレーサーの募集だった。幼い頃から金銭面で苦労してきただけに、キャッチコピーが心を強く揺さぶった。どんな競技か知らなかったが、試験を受け合格した。
本栖湖(山梨県)での1年間の実習訓練は、予想以上の厳しさだった。スピードに恐怖を感じて耐えられなかった。教官に「辞めます」と言ったことも。偶然にも同郷だった教官が「負けるな」と励ましてくれたことで奮起し、人の何倍もボートに乗った。最下位だった成績が上位クラスまで成長した。
1985年にデビュー。身長155センチと小柄ながら時速80キロ、体感速度120キロで、ターンマークに向かって疾走する。選手生活36年目で通算2千勝。女子賞金王など数々のタイトルを手にし、現役選手としては女子最年長となった。
「職を転々としたが、ボートレースは性に合っている。全国24カ所の会場を回り、戦う選手もレースごとに違う。調子が悪くても、次のレースがあると切り替えられる。まったく飽きない」
女子ボート界の第一人者だけにファンも多い。サインには、必ず書き添える言葉がある。
〈努める者は報われる〉
結果が伴わないのは努力不足と、自分自身に言い聞かせてきた。だからこそ、出場停止期間中は、午前9時から午後6時までジムとホットヨガで体を鍛え、復帰への準備に費やしている。
「獲得賞金もいつ抜かれるか分からないし、女子最年長記録(61歳)も破りたい。どこまではい上がれるかを、私自身が見てみたい」
逆転人生を突き進むその先に待つ世界とは…。誰も踏み入れたことがない領域へ、グレートマザーの戦いが、2月から再び幕を開ける。