女子ボートレーサーの第一人者として長きに渡って活躍した鵜飼菜穂子(61)=愛知・48期=が、次走のとこなめヴィーナスシリーズ(24日~29日)を最後に引退することが22日、分かった。積極的な前付け策で“インの鬼姫”の異名を持ち、90年から女子王座決定戦(現レディースチャンピオン)を3連覇したレジェンドが、同期の今村豊さん(59)に続いてカポックを脱ぐ。なお、今後については未定。
悔しさに育てられたレーサー人生だった。「仕事は泣くものだと思っていた」。今でこそ売り上げ、人気ともにボートレース界をリードする女子戦だが、鵜飼がデビューした81年当時、女子選手は17人だけ。1400人を超える男子に対して圧倒的少数。肩身の狭さは想像に難くない。「トイレすら(男子と)一緒だったからね」と、当時を振り返る声は少し憂いを帯びる。だからこそ「外からじゃ勝てない」と、常に前付けで闘いを挑んだ。
そして達成した女子王座3連覇という偉業。特別な思いはあるのだろうかと尋ねたが「当時は勝つのが当たり前だったから」と貫禄の答え。「ひとレースひとレース一生懸命走ってきたから、特に思い出深いものはないです。前節の鳴門で2着を取れたのは良かったけどね(笑い)」。
そんな全力の39年間に、ついにピリオドが打たれる。勝率規定を満たせなくなったことによる引退。要因は昨年亡くなった父・貞夫さんの介護だった。「脳梗塞です。3年前くらいから介護をしていて、レースを数か月休んでいた時があった。やっぱり衰える」。心境の変化もあった。「前はレース中に死んでもいいって思っていたけど、父を見ていたら『人は心臓が動いているだけで奇跡なんだ』と。その頃から、仕事が危ないなって感じて。決して弱気になったわけじゃないけどね」。命を懸けてきたレーサーだからこそ生まれる言葉だ。
若かりし頃の鵜飼。女子の中心選手としてボート界を引っ張っていた若かりし頃の鵜飼。女子の中心選手としてボート界を引っ張っていた
次のキャリアも気になるところだが「『蒲郡のテレビ解説に出ませんか』なんて誘いもあるんだけど。カメラの前じゃ緊張しちゃうし、言っちゃいけないことも話しちゃうから」とおどけた鵜飼。「とりあえず趣味の手芸でもやってゆっくり過ごそうかな」と語るその声は“鬼姫”ではない人間・鵜飼菜穂子としての柔らかさに満ちていた。(角田 晨)◆鵜飼 菜穂子(うかい・なほこ) 1959年10月4日生まれの61歳。愛知県名古屋市出身。練習中のけがのため同期(48期)より半年遅れの81年11月に蒲郡でデビュー。1走目から3コースに進入するなど、強気な前付け策で“インの鬼姫”と称される。82年6月に住之江で初優勝。90年から92年にかけて女子王座決定戦を3連覇するなど通算優勝56回。22日までの生涯獲得賞金は7億3196万248円。1着は1691回。
男子レーサー、今村豊さんに続いて、女子のレジェンドまでも引退を発表・・・
60歳を超えて、20代30代の若いレーサーと戦い、これだけの長い間プロスポーツ選手として活躍された事は本当に凄い事だと思います。
生涯獲得賞金7億3196万248円と1着1691回も!!
長い間お疲れさまでした。